Ⅳ 答案作成の手順

いい材料をそろえても、それを適切な順序で叙述しなければ、説得力のある文章にはなりません。読み手(採点者)の同意・納得を得る論旨構成を考えましょう。

①答案の書き出し

 書き出しが適切ではありません。文章の書き出しは、テーマに対する答えであるべきです。課題が与えられた文章の場合は、「Aとは何か?」という課題の問いに対して「Aとは○である」というような、問いに対する答えを示したものでなくてはなりません。現在のように、始めにあれこれ周辺の事情を説明して、問いに対する答えとするのは、親切なように見えて、逆に文意をわかりにくくしてしまいます。

②先に結論を述べる

 ビジネス文書では、先に結論を述べて後からその理由を説明するのが一般的です。なぜなら、忙しいビジネスマンには、何が結論になるのかわからない文章を読むのは、苦痛だからです。まわりくどい議論をしていると、結論が登場する最後まで読んでもらえない危険があるのです。解答者としては情熱を込めた文章を書いているつもりかも知れませんが、読み手の答案に対する解釈は、そうとは限らないのです。

③説明の順序

 あまり細かい話をいきなりすると、読み手が論旨を理解できなくなってしまいます。課題の要求に従って、大枠から説明し、必要に応じて補足的に説明するようにしましょう。理想的な答案は、段落の最初の文章だけを拾って読むだけで、答案の論旨の概要が理解できるものです。このためにもひとつの段落はあまり長くなりすぎないように、できるだけ150字程度で一段落をまとめるようにしましょう。

④論旨の流れ

 論旨の明快な答案を作成するには、概念を提示する順序に気を配ることも大切となります。
 今回の課題であれば、「大きい視点」や「抽象的な視点」を先に述べ、「小さい視点」や「具体的な視点」を後から述べるのがお勧めです。具体的には、次の項目が該当します。

 「大きい視点」→所属法人の説明
 「抽象的な視点」→所属法人の経営目標や社是
 「小さい視点」→解答者の担当業務の説明
 「具体的な視点」→解答者の担当業務の具体的内容

 このように、文同士、段落同士が適切につながって、一連の流れがあることを「文脈がつながっている」と言いますが、達意の文となるにはこの作業が不可欠なのです。
 そもそも、すべての文(文章内の各一文)、ならびに段落は、必ず直前もしくはそれ以前の記述と結びついていなくてはなりません。これを軽々に考えないで下さい。自分がわかっていることと、読み手に読み取れることとは、全く異なります。同時に、読み手に読み取れるよう記述を整理し、配置することが、とりもなおさず状況の整理=自分で理解すること、にほかなりません。読み取れないような文を書くということは、自分でも、そのものごとを正確に把握できていないことを意味するのです。

 少々説明が長くなってしまったかも知れません。簡潔にまとめます。
(1)つなぎの言葉を入れて、違和感なく自然につながるようにする。
(2)適切なつなぎの言葉がみつからない場合、果たしてその順序で説明することが適切だったか、という観点に戻って検討する。

 つなぎの言葉に困る原因の多くは、前後の段落や文の関係を書き手自身が正確に理解していないからです。こうした場合はつなぎの言葉を考えるよりも、前後の段落や文の関係がはっきりするまで、思考を整理することが重要となります。

 ビジネス論文で修辞(=言葉遣い)を工夫する意義は、書き手の考えをなるべく劣化させずに読み手に伝えることにあります。修辞の工夫で、書き手の思考不足を補うことはできません。このことを胆に銘じていただきたいと存じます。

⑤段落構成

 段落を改める際の原則は、あくまでも「書き込んだ内容」=「書く前に頭の中で整理した視点や問い」が変わる箇所で入れる、と心得てください。無意味に改段するのは、読み手が文の論理を把握するのを妨げ、文の評価を下げますので有害です。また文脈が大きく転換しているにもかかわらず、段を改めないのは、同様に有害です。

 なお1段落は150字程度とするのが効果的であると、経験的に分かっています。これは形式的な問題ではありません。この制限を課すことによって、適度に改段しつつ、無用な記述を行わないようになり、読み手に理解しやすい文章が書けるようになります。文意の明瞭化と構成の容易化に、その効果は大きいですから、段落の字数をこのようにするようにしてください。

⑥「道草文」

 文章全体を貫くストーリーが無く、記述内容が途中でころころと変わっています。これはいわゆる「道草文」というべきもので、実用文・論文のみならず、文章として失格です。道草文は世にはびこるダメな文の、多くを占めます。なぜそのような文になってしまうかと言えば、実用文とはそもそもどのような構造を持つものか、理解していないことにあります。

 実用文は、文章の中で最も書き手が主張したいただ1つの自説と、その論証からなります。これ以外に、論旨明快な文章を書く手だてはありません。しかし思いついたことを思いついたまま書く、あるいは文と文、段落と段落の関係を考えず、ただもう字数を埋めることのみを目的に文章を書けば、必ず道草文になって失敗します。

 改善の方針は、第一に自説を明確に立てること、そしてそれを文章の冒頭に置くことです。1500字を超えるような長文の場合は、自説の前に前置きがあるのはかまいませんが、前提として自説の位置は冒頭です。

 改善の方針第二は、自説を論証する材料を、規定字数を埋めることが出来るだけの数、考え出すことです。論証の材料1つには、おおむね150字=1段落を用いますから、どれだけ論証の材料を考えればいいかは、自ずから明らかでしょう。例えば1200字なら、1200÷150=8、すなわち文章全体は8段落、うち1段落を自説に用いるとして、残り7段落=7つの論証の材料を考えればいいということになります。

 もちろん材料によっては、2段落を必要とするものもあり得ますが、原則は自説以外の段落の数だけ、異なる論証の材料が必要なのです。

 改善の方針第三は、段落と段落、文と文の間には、必ずつなぎの言葉を入れることです。これは、話が飛んでしまうことを防ぐ=文脈をつなぐために必須の作業です。前の文の主部または述部のいずれも扱わない文を書く際には、必ず前後がどうつながるかを示す、つなぎの言葉を入れて下さい。これは段落も同様です。ほとんどの段落では、直前とは別の視点=内容を述べるわけですから、この作業が必要になります。

 逆に言えば、つなぎの言葉を冒頭に付けられないような記述は、書いてはいけないのです。これは文章を思いついた順序で書くのではなく、ストーリーに従って書くためには必要です。つまりこの作業は、書き手の頭の中にある(もやもやした)話を整理し、誰でも読んでわかるような構造へと、変換していくことなのです。

 ここで言うつなぎの言葉は、いわゆる接続詞に限りません。例えばこのコメントを見返してください。各段落の頭に、前段落やそれ以前の段落とつなぐための言葉があります。あるいはその中には、接続詞でないものもあるでしょう。しかしつなぎの言葉の目的は、読み手に無理なく、文意を分かってもらうことです。従って定型の接続詞にこだわるのではなく、何が適切な言葉なのか考える事が、文章力向上には必要です。

⑦「まとめ」について

 まとめでは、①それまでに取り上げた最重要概念(論点)とその相互関係(論旨)を繰り返す(論旨の確認・強調)、②論証をせずに今後の展望、他分野への影響を示す、といった記述をします。現在は、この①に当たる記述です。従って、ここまでの改善によって論点や論旨が変更になれば、それに併せてこの部分も手を入れる必要が生じます。

 さらに、この部分は、省略することも可能です。①であれば他の箇所と重複しますし、②であれば論文としての論証を欠く部分となります。いずれにせよ、字数に余裕がない時には全面的に割愛しても、全体の論旨に影響しない箇所なのです。

⑧意欲・熱意をどう示すか

 設問の要求について説明します。ほとんどの設問は、明示的に対応した答案を作成できるものの、出題側が採点基準として提示している「それを実現したいという強い意欲」については、「意欲」そのものを文章で直接示すことはできないという困った問題があります。

 「意欲」は、内面の問題であり、外部からは、推し量ることしかできません。実際には本人には意欲がないのに、さも意欲があるかのように、表情や口先だけで振る舞い相手を騙すことも可能です。こうした問題を回避するため、採点側は、意欲があれば準備できているであろう項目が答案に書かれているかどうかという視点で、答案作成者に意欲があるかどうかを評価します。

 ここでいう意欲があれば準備できているであろう項目とは、現状と達成目標の差を埋めるために何を今後取り組む予定か、ある程度以上整理できているかどうかということです。確かに、実際に達成目標に向かって邁進する過程で、思いがけないことが起こり、予定が狂ってしまうこともあるでしょう。しかし、現時点で考えうる範囲で準備すべきことを整理しておくことが重要です。

⑨自信や確信は必要か

 解答者が個人的に感想として確信しているかどうかに、読み手は興味はありません。さらに、読み手に確信させることを強要させるようで大変鬱陶しい感じさえ与えます。

 過剰・過激な言葉を用いれば、読み手の興味を引くというものではありません。むしろ、多くの場合、逆効果になります。「最高の策は、策を弄しないことだ」とよく言われるように、自分を売り出す文章を書く際に、まず心得なければならないのは、自分の価値は、事実をして語らせねばならないということです。

 自分が誇りを持って「これをしてきた」ということ、また確信できるまで十分な検討を経た「これが言える」ことが選べたなら、あとは淡々とその事実や論証を記述すれば、読み手は自然にその人物や、書き手の主張を理解します。ですから誇大表現や、過剰な修飾は、一切無用であるばかりか、却って読み手のうんざり感を誘うのです。ところが文章を書き慣れていないほとんどの方は、この点に気づかないものですから、お書きになったような過剰な記述は、ビジネス論文で実によく見られるのです。そのような競争者の文章の中にあって、淡々と、背伸びせず、事実をふくらませないで書いた文章、そして十分に論証された文章こそが、読み手の興味をそそるとは思いませんか?