日常会話ではとくに問題にならない、論旨の飛躍や論点のズレも、言い直しや補足の質疑応答ができない小論文では致命的な欠陥になります。
①根拠のない断定
1) 根拠のない断定、つまり思いこみです。必ずしも、誰もがそう考えるとは限りません。そう言い切れる論拠をお持ちでしょうか。もしあるなら提示すべきですし、「何となくそう思う」程度のことで、このような断定をすべきではありません。
こうした理由説明のない断定は、単なる思いつきと判断されますから、論作文で提示すべき事柄ではありません。なぜなら論作文はあくまでも「論文」であって、思いつきの羅列でよい「感想文」ではないからです。
2) 論作文には客観性、言い換えるなら「誰もが無理なくそう思うこと」が必要ですが、これを備えるためには以下のいずれかが必要です。
1つは、太陽が東から昇るとか、盗みや人殺しはいけないとかいった類の、ごく当たり前の常識を備えている事です。もう1つは、多くの人にとって普段は意識しない、あるいは関係がない事柄について、「そう言えるという証拠」を添えてある断定をすることです。論文はそもそも、このような普段の生活とは(やや)離れた事柄について、証拠=論拠を提示しつつ証明するものですから、独断は最も避けなければならないのです。
②概念の関連づけ=論旨構成
1) この段落は、設問の要求との関係付けが希薄であり、答案全体の中で孤立しています。答案全体の論旨から逸脱した部分となっているのです。これを解決するためには、設問文の重要概念をここで用い、設問の要求と対応させると良いでしょう。
2) その最大の問題点は、各段落間の相互関係が不明確、ないしは薄弱となっており、論旨の一貫性がないことです。これについては前回も同様の指摘をし、また今回は大きく改善されていますが、いくつか重要な箇所で、前後の関係付けが不十分です。これは、論旨の矛盾・齟齬として、取り分け高い地位を目指す試験では、比較的大きな減点になります。
③文脈のとぎれ
文脈がとぎれています。適切なつなぎの言葉(文法用語に言う「接続詞」だけではありません)を用いてくっつけることが必要です。観念(=「これを書こう」という思いつき)は他の観念と関連づけませんと、概念(=他の思いつきと結びつけられた、文中で取り上げたものごと)にはなりませんが、文もこれと同じで、おのおのの文が適切に結びつけられていなければ、文章にはなりません。従って、前の文あるいは段落と、後の文あるいは段落がどのような関係になっているかを、つなぎの言葉を用いて読み手にわかりやすく説明しなくてはならないのです。
例えば、「今日は快晴だ。収入印紙を買う」という2つの文は脈絡がなく、文章とは言えません。しかし、「今日は快晴だ。(先日申請したパスポートを受け取りに行くには都合が良いので、そのための)収入印紙を買う。」ならば、2つの文の関係が見えるようにつながっていますから、文章といえるのです。
このように、文同士、段落同士が適切につながって、一連の流れがあることを「文脈がつながっている」と言いますが、達意の文となるにはこの作業が不可欠なのです。
そもそも、すべての文(文章内の各一文)、ならびに段落は、必ず直前もしくはそれ以前の記述と結びついていなくてはなりません。これを軽々に考えないで下さい。自分がわかっていることと、読み手に読み取れることとは、全く異なります。同時に、読み手に読み取れるよう記述を整理し、配置することが、とりもなおさず状況の整理=自分で理解すること、にほかなりません。読み取れないような文を書くということは、自分でも、そのものごとを正確に把握できていないことを意味するのです。
前後の関係をよく考え、それらをつなぐ、適切な言葉を補って下さい。
④文脈を考える
違和感なく記述内容をつなげるために言葉遣いの工夫で解決できると思われている方がいますが、状況がより深刻な場合があります。つまり、「書く前の準備=思考の整理」が不十分であるために、前後の脈絡がなく、コロコロと話題が変わる文章を作成することになってしまうことがあるのです。
記述内容をつなげるには、前後の概念の関係がどのようになっているか読み手に説明する必要があります。前後の概念の関係がどのようになっているか読み手に説明できないのであれば、「書く前の準備=思考の整理」が不十分であったということになります。
なお、「書く前の準備=思考の整理」であれば、前後の概念をつなげる「つなぎの言葉」をみつけるのは、それほど苦労しません。うまく記述内容をつなげられない方は、文章を書く訓練が不足しているというよりもむしろ、思考を整理する訓練が不足していると申せます。思考力を磨くのには相当の時間が必要であるものの、思考力を磨くことから逃げる限りは、文章作成能力も向上しません。このことを胆に銘じて、思考力を磨くことを優先して行うようにすることが肝要です。
⑤論理の飛躍
論理の飛躍です。この前の部分から、この後ろの部分がどうして言えるのか、読み手には理解できません。
「風が吹けば桶屋が儲かる」という言葉がありますが、「風が吹く」と「桶屋が儲かる」は、直接つながりません。「風が吹く」→「砂ぼこりが舞って失明する人が増える」→「(江戸時代では、そのような人は)三味線弾きになって生活する」→「三味線の需要が増える」→「三味線の材料である猫の毛皮が払底する」→「捕らえられる猫が増える」→「ネズミが増える」→「ネズミにかじられてダメになる桶が増える」、ここまで来てやっと「桶屋が儲かる」につながるのです。
⑥文の構造・論理のねじれ
主部と述部が、正しく対応していません。
文章を書き慣れていない方がよくしてしまう失敗のうち、文章構造について最もよく見られるのはこのような「文の構造・論理のねじれ」です。つまり文章の主部(主語)-述部(述語)の関係や、修飾語-被修飾語の関係を記述する際、文法的に破綻してしまうことです。
文章のうち、最も単純な形は、主部も述部も「1つの事柄」だけで出来ていて、その関係も主部-述部1つだけ、というものです。これを「単文」と言いますが、慣れないうちは出来るだけ単文で書くように心がけるべきです。
にもかかわらず、重文(「AはB、CはD」のように、単文を「、」でつなげたもの)や複文(「AがBしているのはCだ」など、主部や述部そのものが複雑な構成になっているもの)を安易に用いてしまうと、おかしな文となって失敗してしまうのです。
この原因は3つあります。1つめは、「自分は何を述べようとするのか」を、思いついたままに書こうとすることです。思いつきの段階では、述べようとする複数の事柄それぞれの間の関係は、なんとなく「あいまい」になっているはずです。それはおおかたの場合、「イメージ」すなわち「映像」になっています。それを適切に整理しないまま、直にことばへ変換しようとすると、つい「物事の相互関係」が曖昧なままで書いてしまうのです。
2つめは、書いた後読み返さないことです。もう少し言いますと、「イメージ・映像」→「文章」へと変換した自分の文章を、「文章」→「イメージ・映像」へと逆変換することなく、なんとなく読み返しているからです。面倒でも読み返しの際は、DVDを頭の中で再生するように、「文章」=媒体→「イメージ・映像」への変換が必要なのです。
3つめは、複数の文をつないで1つの文とする際、間をつなぐ適切な言葉を選ばない、ないしは全く用いないことです。
⑦複数の文に分ける
ほとんどの場合、一文が長い文章は、短い文に分割しても同じ内容を伝えることができます。複数の文に分けるとシックリこない原因として、次のことが挙げられます。
(1)思考の整理が不十分である。
(2)概念を提示する順序が悪い。
(3)文と文の関係を示すつなぎの言葉を工夫していない。
まず(1)についてです。なるべく一文が短い文章を書くように日頃から心がけていれば、思考を整理する訓練となるので、次第に一文が短くともシックリとくる文を書けるようになってきます。それには、苦行にならずに続けられる、文章作成訓練の方法をみつけるのが有用です。文章を作成する機会は、業務内に限定されません。余暇の時間に趣味に関する文章を書くことでも、文章力は向上するでしょう。
次に(2)についてです。同じ内容を伝えたくても、説明の順序次第で読み手や聞き手の理解のしやすさがかわります。ザックリと大枠の内容を伝えて、その後で次第に細かい内容を説明するのがポイントです。
最後に(3)についてです。文と文の関係を示すつなぎの言葉として代表的なのは、「接続詞」です。いろいろな接続詞が使えるようになると、文と文の関係をより適切に示せるようになります。
また、文と文の関係を示すつなぎの言葉は、「接続詞」に限定されません。前の文に登場する概念を適宜引用することで、文と文の関係を示すつなぎの言葉とすることもできます。これまでに述べた内容とどのように関係しているかを示しながら、新しい内容を述べることが肝要です。
⑧将来予測の観点
それぞれの施策を実施するべきかどうかの判断は、費用対効果の観点で、取り組み実施以前から検証できます。各種の販売促進イベントを実施すると、イベント実施のための費用が発生します。その費用・投資に見合う見返り(=売上の増加や、収益の増加)があることを見込めて初めて、その販売促進イベントを実施すべきだと判断できます。
確かに、実施前の段階で詳細な検討をするのは難しいものの、ザックリとでも費用対効果の観点からの検証ができていないと、上位の管理職を担うのにふさわしい人材とは言えないでしょう。
今回の設問では、費用対効果の検証までは求められていないので、ここまで詳しく議論する必要はないものの、取り組みを実施して効果があったのかどうか、後から検証できる程度までに具体的な目標を設定して論じることが求められているのです。
⑨字数調節のためのまとめ
字数調整のために、論文の最後にまとめを入れる場合は、これまでの議論の繰り返し(の簡略なまとめ)に留めておきましょう。最終段落で、中国の故事そのままの「蛇足」な内容を述べると、論旨の破綻を起こし、論文全体の評価が大きく下がってしまう危険があります。
⑩論証の必要性
再提出していただいた答案は、論証が不十分です。このため忙しい読み手の時間を奪ってまで、読んで「頂く」価値がありません。その価値を出すために、自説が重厚であることが望ましいですが、仮にそれが不可能でも、論証の十分さは、実用文の最低条件です。
自説は、単なるYES/NOのみではあり得ません。それには必ず論証がついて回ります。その上、課題文なしで、たとえば「地球温暖化についてどう思うか」と問われたら、そもそもYES/NOが成立しないのです。
自説として、どのようなことを考えるかは解答者の自由です。また、自説に唯一の正解などあり得ません。心得るべきは、どのような自説をたてようとも、読み手を説得するに足るだけの、論証ができるかどうかなのです。しかしこの論証が、誰でも言いそうな、あるいは新聞などにありふれているようなものでは、評価は高くなりません。また、課題と同じ理屈を用いては、そもそも自分で考えていないとして0点です。大事なことですので注意しておきますが、評価されるのは論証の手続きとその緻密さであり、独創的な(小)論文とは、自説のそれを言うのではなく、論証の過程に独自性があることを言うのです。
突き詰めて言うなら、自説そのものはYES/NOでもかまわないのですが、その論証が重要です。YESである場合、課題文以外の論拠を探し、それを用いてYESであると言える、独自の論理を考えねばなりません。NOである場合、単に課題文の論理を「違う」と否定するのではなく、否定する論拠と論理を提示し、できれば「別の何かの方が妥当である」という、代案を提示することが必要なのです。
これらの自説をたてるため、また論拠を引き出すため、知識はむろん重要です。しかしそれは、そんなに高度なものを要求されているのではなく、普段の業務の中で得られる知識で十分です。従って小論文ではごまかしがきかず、普段どれほどまじめに働いているか(いたか)が、現れてしまうのです。
それが十分であったことを祈りますが、もしそれに不足を感じるなら、今持てるだけの知識から、頭を絞って自説立案とその論証を行って下さい。どれほど論理的に、いかに正確な知識を用いて、どこまで深く考えることに耐えられるか、これが小論文では問われるのです。