大学入試 AIが作成した解答とその添削

AI作成の解答と、WIEの添削・解答例


近年、AIの進歩は目覚ましいものがあります。大学入試でも志望理由書や過去問に対する模範解答をAIに作成させて学習する人が増えて居ます。WIEのAIに対する考えは、志望理由書などについては、AIで事前提出書類を書くのは、あり?なし?にまとめてあります。
ここでは、実際の入試問題を実際にAIに解答を作成させ、それに対する添削をしてみました。使用した入試問題は、「上智大学総合人間学部看護学科公募推薦2021年度」のものです。

出題

【問】 下記の文章を読み,著者の主張に対するあなたの考えを,自分の体験を踏まえて800字以内で述べなさい。(時間:60分)

 「和」を尊び,争いを避ける技術を発展させてきた日本文化モデルを理解するためには,欧米文化モデルが培ってきた争いの文化を知る必要がある。それは,日本文化人が欧米文化人と共存し相互理解を深めるために不可欠なことであろう。争いには肯定的,積極的な側面があること,争うことには長所があることをまず認識しなければならない。それはまた自己の文化の長所を控えめにほのめかし,察してくれるのを待つのではなく,積極的に表現し理解させることを学ぶことでもある。
 争うことは,第一に隠された争いを表面化する利点がある。まず個人レベルでは,しばしば和を乱すことを恐れて,自分本来の欲求を抑えることがある。しかし,自分の内部で公にすることをためらっていた争いを持ち出すことによって,「本来の自己」と「集団の和を尊ぶ自己」との葛藤や相克が認識され,理解され,討議され,解消させる可能性がある。すなわち,その葛藤が葛藤として表現された場合には,他者がその葛藤の存在について少なくとも認識し,場合によっては理解し,さらには解決を図ることまで進むかもしれない。自己の欲求が葛藤よりもはるかに強く,それのみが全面的に表現された場合には,複雑で屈折した自己が解放され,単純で素直な自分に戻ることができる。
 また集団レベルでは,その集団が抱えていた諸問題が白日の下に置かれ意識化される。見せかけの和から,本当の和への模索が始まる。争点が明らかになり,対立の構図も明確になる。このことは争点および争点にかかわる当事者の二つに関係する。表面化される以前,争点は,相手のグループにその存在さえ意識されなかったり,その重要性が無視,無害化,あるいはタブー化されたりしている。この争点が表面化し,取り上げられることは,それ自体意味がある。取り上げられたという事実は,それがどのように可決されたか,ということに劣らぬ重要性を持つ。(中略)表面化された争点は,早かれ遅かれ,決着されることになる。例えその決着が不満足なものでも,次の新しい段階へと進むことができる。
【梅本尚人,『「争いの文化」と「和の文化」,フェリス女学院大学編,多文化・共生社会のコミュニケーション論』,翰林書房,2008,pp.128-140より一部改変】

AIの作成した答案と。それに対するWIEの添削

全体的な講評
 答案は、誤字脱字や主語述語の不適応といった問題は少なく、解答者の国語力は十分だと申せます。さらに設問の要求・課題文の内容も概ね正しく理解して、ほぼ適切に対照しています。ただ、残念ながらいくつか基本的な問題点があるために、WIEの基準では「合格圏」とは申せません。
 第1の問題点は、「課題文の見解」と「解答者の見解」をもう少し正確に書き分ける必要があります。小論文に限らず、およそ論文においては、資料その他「他者の見解」と、「論文筆者の見解」が明確に区別されていなければなりません。そうでなければ、単に「課題文が読めていない」という減点だけではなく、最悪の場合、盗作・剽窃と判断されかねません。今回の答案は、一定の配慮はしておいでですが不十分です。
第2の問題点は、解答者の取り上げている事例と設問の要求・課題文の内容との対応がやや曖昧な点です。 例えば、解答者の経験のうち、何が「和」なのか、明確ではありません。 
 細かい国語表現の問題も指摘しましたが、以上の点が改善の中心になります。

 答案に対するコメントは、添削本文の後にまとめてあります。abc……、ABC……の記号は、答案のものと対応しています。なお、特にコメントのない修正は、単純な語句の誤りや、分量調整のためのものです。

添削本文(AIによる解答)


 筆者は、日本文化が「和」を重んじる一方で、欧米文化の「争い」にも肯定的な価値があることを学ぶべきだと述べている。私はこの主張に賛同する。なぜなら、争いは単に対立を深めるのではなく、A筆者の言う通りむしろ隠された問題を可視化し、より健全な人間関係や集団の在り方を築く契機となるからである。
私自身、高校時代の部活動でこのことを実感した。私の所属していたサッカー部では、当初は「仲の良い雰囲気」を重視し、監督の方針に従aっていた。これうことが和をB尊び、争いをさけることだと思っていた重んじることだからだ。しかし次第に、練習方法や試合の戦術に不満を抱く部員が増えた。私も「このままでは勝てないのではないか」と思いながら、雰囲気を壊すことを恐れて声を上げられなかった。結果として、チームの士気は下がり、試合でも思うような成果が出なかった
 転機となったのは、ある部員がミーティングで率直に不満を表明した時bだったである。最初は険悪な空気になったが、やがて他の部員も本音を語り始めた。その過程で、監督と選手の意識のずれや、練習メニューの非効率さといっb具体的な問題が明らかになった。議論は激しく、時にはB言い争いになった衝突もあったが、最終的には監督自身も方針を修正し、チーム全体で新しい戦術を模索するようになった。その後、試合成績も向上し、以前より一体感のある集団へと変わった。この経験から、争いを避けて「見せかけの和」を保つよりも、対立という争いを通じて課題を表面化させることが、本当の意味での和につながると学んだ。
 もちろん、争いが無制限に肯定されるわけではない。感情的な衝突や相手を傷つけるだけの言動は、解決よりも分断を生む。しかし、互いを理解しようとする姿勢を前提にした建設的な争いは、むしろ人間関係を深化させる力を持つ。その意味で、筆者の指摘する「争いの長所を認識すること」は、現代社会において重要な視点である。
 日本が国際社会において存在感を発揮していくためにも、この発想は不可欠だ。日本人は往々にして自らの主張を控えめに表現しがちであるが、異文化との共存には積極的な自己表現と議論が求められる。私たちが争いの価値を理解し、それを適切に活用できれば、「和」の文化をより豊かに発展させ、国際的な相互理解に貢献できると考える。

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A:現在の記述ですと、この部分が課題文筆者の見解なのか、それとも解答者のそれなのか、どちらともとれます。課題文の見解と解答者の見解とが区別されていないとして、減点の対象になります。
a:1文があまり長いと、概念の関係=論旨が読み取りにくくなります。私なら、ここで文を切ります。
B:この部分、課題文の概念をそのまま使用することで、設問文・課題部分との関係を明確にしました。受験テクニック的な指摘になりますが、設問文・課題文の重要概念はできるだけそのまま使用するのが、設問の要求に的確に応えるコツといえます。
b:他の改善によって分量が増加すると思われますので、その調整です。最終的に字数に余裕ができるようでしたら、現在のままとしても構いません。

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 以上のコメントを参考にして、手入れたものを再提出してください。
 なお、課題文とは少し異なる立場で議論することも可能です。「争い」以外のより穏やかな方法で立場に違いを明確化し、その解決あるいは妥協を図ることができる、といった視点です。再提出では、現在とは異なる視点で議論をしても構いません。