添削例:慶応大学(文学部:2017年)

 過去問に挑戦された手応えはいかがでしたか。今回は、講座全体として初めての添削になりますので、ここでテキストと若干重複しますが、慶應大学文学部の出題傾向を簡単に解説しておきます。
  例年、制限時間から見ますとかなり分量が多い課題文を読むことになります。その上で、設問1が課題文の内容把握=要約問題であり、設問2が解答者独自の見解を述べる問題になっています。設問1・2ともにそれぞれ制限字数は300~400字程度なので、小論文としては短いと言えます。それでも課題文の難しさ、制限時間の厳しさの点で、大学入試小論文としては難しい部類に属します。
 特に、出題年度にもよりますが、課題文は論文としての骨格がやや曖昧な、エッセイ(試論)あるいは文学作品が採用されています。そのため、解答者が小論文を書くために必要な水準で課題文の論旨(概念の相互関係)を把握することが、難しいと言えます。
 本年の課題文は、そのなかでは比較的論文としての性格の強いものです。ただし、初等中等教育=高校学校以前ではあまり取り扱われず、高等教育=大学・大学院で初めて出会うような思考の方法が示されています。大学文学部の取り扱う範囲でも、歴史学や文学は、高等学校の地歴科・国語科・外国語(英語)などで入門的な学習をしますが、今回の文化人類学や社会学などは、高校の教科ではほとんど触れることがありません。高い読解力・思考力が要求されるのは、例年通りです。
 なお、通信欄で御質問をいただいておりますが、答案の該当箇所で検討することにしましょう。

 お送りいただいた答案は、誤字脱字や主語述語の不対応といった国語的な問題はなく、解答者の国語力は高いと判断できます。また、設問の要求にも対応しようとしています。設問の要求を無視した、いわば見当違いな答案が多いなか、この点は評価できます。
 しかしながら、設問Ⅰでは課題文の重要概念(論点)に見落としがあり、合格圏を逃しています。設問Ⅱで苦戦しているのは、この設問Ⅰでのミスが原因です。設問Ⅰで用意した概念(論点)が不足しているため、「何を書いたらよいか」分からなくなったのでしょう。
 ただし、合格圏を逃したとは言え、昨年度までの受講生で、めでたく合格された方が初めて提出された答案と比べても、遜色のない水準にあると言えます。ここから出発して、この演習を通じて、合格圏の実力を確実に身につけて参りましょう。

 答案に対するコメントは、小問ごとに解説の後にまとめてあります。abc……の記号は、答案のものと対応しています。なお、特にコメントのない修正は、単純な語句の誤りや、分量調整のためのものです。

設問Ⅰ

(解答本文は省略)

(添削コメント)
 「要約しなさい」とありますので、課題文の内容把握が問われています。こうした設問に対して、解答者独自の見解や解釈を書きますと、大きく減点されてしまいます。毎年初めての提出でこうした失敗をする受講生が少なくないのですが、この答案はそういったミスはありません。課題文の重要概念(論旨)を抽出して、その相互関係(論旨)を再現する、という要約の基本を守っています。
 しかしながら、最重要概念で見落としがあります。そのため、課題文の論旨が正しく再現されていません。そのため合格圏とは申せません。特に設問Ⅱに関係する重要概念が答案にはありません。詳しくは該当箇所で詳しく述べますが、設問Ⅱで最重要概念になります「分け与えること」に対して、課題文は複数のあり方を示しています。これが十分に答案に盛りこまれていないのです。
 細かい国語表現なども指摘しましたが、以上の点が改善のポイントになります。なお、現在制限字数をほぼ使い切っていますので、新しく概念を追加するためには、字数調整が必要になります。それも含めて、指摘して参ります。

a:課題文の見解と解答者の見解を区別するための記述ですので、あって誤りとは申せません。ただ、この設問Ⅰのように課題文の見解しか設問が要求していない場合には、なくても誤解の余地は生じませんね。分量調節のためには割愛しても構わないことになります。
A:以下で述べられている諸特徴は、「トングウェ人」のものであって、全「タンザニア人」に妥当するとは、課題文は述べていません。致命的な減点に繋がる誤読です。
B:aに対応して記述を調整しました。ただし、完全ではありませんので、再提出ではご自身で、適当な文を考えてください。
b:現在の記述でも減点になるようなことはありませんが、他の改善によって分量が増加すると思われますので、その調整です。最終的に字数に余裕ができるようでしたら、現在のままとしても構いません。
C:「情の経済」という概念自身が説明(概念規定)なしでは理解できません。したがって、これを説明なしで要約に盛りこみますと、説明不足・理解困難として大きく減点されます。「最低限の生存維持を最優先」「相互扶助システム」「発展を阻む」といった、「トングウェ人」社会の特性をより適切に説明する概念を答案に盛りこむべきです。
D:この部分で課題文は、「上野村」の事例を挙げています。そこでは「二倍つくる」「アソビ」「実りを分かち合う」などの概念が使用されています。これは*「最少生計努力」や「食物の平均化」とは対応・対立する概念ですね。そこから、「嫉妬やうらみ」「呪い」とは違う社会の構成原理が出てくるでしょう。
 課題文ではこれに関して、タンザニアの農村と上野村の「アソビ」の違いや、「計画性」等について比較対照していますね。
 以上のコメントを参考にして、再提出をしてください。少し難しいかも知れません。ただ、次の設問Ⅱを前提にして、課題文が「分かち合い」のあり方をどのように考えているか、という視点で事例を整理していくとよいでしょう。

設問Ⅱ

(解答本文は省略)

(添削コメント)
 設問Ⅰで課題文の内容把握=要約に失敗しているために、この答案の冒頭にある「分け与える」の概念規定(説明)が不適切です。議論の前提となる概念が不適切なために、それ以後の議論も低く評価されることになります。
 したがって、設問Ⅰの要約がどうなるかが確定しませんと、改善の方針が立たないことになります。一応、私ならこう考える、という視点を紹介しますので、再提出の参考にしてください。

A:冒頭でも触れましたが、設問ⅠのDで指摘しましたように、「嫉妬やうらみ」によらない、「上野村」型の「分かち合い」があり得ることを、課題文は認めています。現在のように「トングウェ人」型の「分かち合い」だけが「(課題文)筆者」の考えとするのは誤りです。したがって、設問が冒頭で要求する「次の文章を読んで」を満たしていないことになります。非常に低い評価になってしまいます。
B:Aで躓きましたので、「筆者と同様に」という記述が無意味になっています。
 ここで、設問Ⅰの指摘にそって、同じ「分け与える」にしても、自己の必要分を確保した上で「分け与える」上野村と、こうした考慮をせず、お互いに必要最低限の生産分しか用意せずに「分け与える」トングウェ人で随分違います。このことを指摘できると、両者の比較対照をすることが可能です。
 上野村であれば、十分な余剰があり一方的に与えるだけの人と、不足分を一方的に与えられる人が存在します。しかし、トングウェ人では原理的には与えた分をどこからか与えて貰わなければ、飢える人が出てしまいます。飢餓を避けるという意味では、上野村の方が優れているといえるでしょう。
 しかし、安全と思われる上野村も、評価基準を変えれば「必要量の二倍」という資源の浪費・労働力の無駄をしているともいえます。上野村では、「あまりにも少ない貨幣」ではありますが、村外との交換によって、この問題を解決しています。しかし、これが地球環境と言った外部の存在しない閉じた系だとしますと、破棄される無駄な生産を毎年行っていることになります。これは、それだけ地球環境に負荷をかけ、環境問題を悪化させるものと言えるでしょう。
 もちろん、これ以外の視点でも構いませんが、「分け与える」行為が複数あることに気付けば、その比較が可能になります。そのなかで、解答者が考える望ましい「分け与える」行為・社会とは何かを考えることができるでしょう。通信欄にありました「何を書いたら分からない」と言うことはなくなると思います。
 最後に「分け与える」ことそのものを否定して、個々人の能力に応じて生産したものを、相互に交換すればよく、努力を怠って少ししか生産できないものが、僅かしか交換できなくてもそれでよい、という見解も不可能ではありません。
C:大きく取り消し線をしましたが、「トングウェ人」型ではなく、「上野村」型の「分け与える」が成立する可能性もあると思います。少し多めにつくって、足りない人に分けてあげる、という行動が起きないということを論証しない限り、このような立論は不可能です。
 逆に、Bの議論で上野村型の「分け与える」社会は例外であって、基本的に多くの人がトングウェ人と同じように振る舞うことが論証できれば、この部分はほぼ現在のまま活かすことができますね。
D:Cと同様です。A以下の改善で、全体の立論が変わる可能性がありますので、それとあわせてこの部分も見直してください。
 以上のコメントを参考にして、再提出をしてください。
 設問Ⅱでは、解答者がどのような立場に立つか決めていただくために、具体的な文案ではなく、考え方のヒントだけにした箇所が多くなりました。難しいかも知れませんが、ぜひ改善に挑戦してください。