珍しいことだろうか?

平和と文明、この希有なるもの

最後にもう一つ、みなさんに考えていただきたいのは、試験や論文の困難さのみならず、今の時代を生きるという困難が、はたして、我々だけの問題かどうかです。

ほんの半世紀ちょっと前、この国のほぼ全域では、空襲で焼け死んだ方や飢え死にした方が大勢いました。
愛する家族と引き離され、酷熱の、あるいは酷寒の戦場に連れて行かれ、鉄の雨に打たれて死ぬ、これも珍しいことではありませんでした。
何の悪いこともしていないのに、このような悲劇が見舞うことは、当時は当たり前のことだったのです。

では今の時代はどうか。我々はたまたま、先進国・文明国に生活していますから、とりあえず、飢えて死ぬ心配はありません。病気になってもお医者にかかることができます。
しかしこれは、他国に目を向けるとき、実に珍しい幸運と言わなくてはなりません。

世界の国の中で、飢餓、戦争、死に至る貧困、劣悪な衛生環境、絶望的な環境破壊、こうした事態に見舞われていない国は実はごくごく少数であって、ほぼ、欧米と日本のみが、無関係でいられるのですし、先進国の筆頭たる米国でさえ、猛烈なハリケーンに見舞われたら、地域と期間は限定されるものの、こうした悲劇と無関係ではないことがはっきりしています。

繰り返しますが、生き延びることの不安がない環境は、現生人類が出現してよりの時間から見れば、ほんの一瞬前から、そしてごく狭い選ばれた地域でのみ許されたことなのです(参考:ヒトの平均寿命の分布・)。
異説はありますが現生人類が出現してから約20万年、そのほとんどを食うや食わずで過ごし、そして約1万年前、最終氷期が終わって気温が安定したとき、人類はやっと農耕を始めることができました。それでもなお、長い長い間、最低限の食事でさえ毎日食べられたのは、ごく限られた人々のみだったのです。

ごらんなさい、この河を。

ここで、極端な例を考えてみましょう。

先の大戦中、頭でっかちの将軍・が思いつきで、ビルマ(ミャンマー)に軍を送った・ことがあります。
連れて行かれた兵隊さんは、いざ英軍の反撃が始まると、真っ先に逃げ出した軍司令官・に見捨てられ、食料も武器弾薬も医薬品も全く不足する中、酷熱のジャングルをさまよい、「ボタリ、ボタリとうじ虫のようにまわりで死んでいく、あの世界での絶望感というものは、経験のない方には理解してもらえそうにない」悲劇に見舞われました(会田雄次『アーロン収容所』)。

そのとき、会田先生の部隊に付き従っていた若いビルマ人が、こうなぐさめたそうです。
「マスターたちは負けた。残念だろうが、これも運命なのだ。気を落とすことはない。…ごらんなさい、このシッタン河を。日本軍が勝っても英軍が勝っても、同じように変わらず、ゆっくりと渦を巻いて流れている。人間のやることはどんなことでも、時と運命によって幻のように消えくずれてしまう。自然は変わらない。イラワジ河はもっともっと大きい。この河はすべての人間の栄枯盛衰をのみつくして永遠に流れていくでしょう。…」

これに対する会田先生の思いはこうでした。
「自分たちの立場が特殊な際だった暗いものではなく、人類の全てが経験し、あるいは諦観したり、あるいは反抗したりしながら耐えてきたものなのだ。広い広い立場からすれば、ごく一般的な当たり前の運命でしかなかったことを悟らせてくれたのである。」


G. Korzhev. Проводы (別れ)

同じビルマ戦線の悲劇を、主人公の決意として、竹山道雄先生はこう述べています。
「いったいこの世には、なにゆえにこのような悲惨があるのだろうか。…このなぜにということは、しょせん人間にはいかに考えてもわからないことだ。われらはただ、この苦しみの多い世界に少しでも救いをもたらすものとして行動せよ。その勇気を持て。」(『ビルマの竪琴』)

このような悲劇を近い過去に、実際にわれわれの父祖が珍しくないこととして甘受していたこと、そして現在のわれわれの生活が、こうした苦悩のおかげで今あること、これを思えば、われわれが直面している困難も、ただわれわれだけの悲劇ではないとわかるでしょうか。


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